FANDOM


ディズニーランド』(Disneyland)は、アメリカで1954年から、日本では1958年8月29日~1972年4月30日まで日本テレビで放送されていたテレビ番組である。

概要

三菱ダイヤモンド・アワー」と題された三菱電機による一社提供紀行番組である。[1] 金曜20時(放送開始 - 1968年2月16日) → 日曜19時(1968年4月7日 - 1969年9月21日) → 日曜10時(1969年10月5日 - 1970年3月29日) → 日曜14時30分(1970年4月19日 - 放送終了)に放送された。[2]ディズニー・プロダクションズ制作の一時間番組。ウォルト・ディズニー・スタジオが初めてテレビ界に提供した作品として有名である。

ウォルト・ディズニー自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国のうちから、ティンカー・ベルが妖精の粉を振りかけた、一つの国に関連した内容を紹介する。

なお、放送開始当初は2週間に一度の放送(隔週編成)で、『プロレス中継』との入れ替わりで放送された。この「入れ替わり放送」については、日本テレビが、当時人気があった『プロレス中継』を、特別番組という形から毎週放送するレギュラー番組にすることで視聴率を稼ごうとしていたのに対し、スポンサーである三菱電機が『ディズニーランド』との入れ替わり放送を強く求めたためである、といわれている。なお、1968年4月の『ディズニーランド』枠移行後は、双方の番組はそれぞれの時間帯で毎週放送されるようになった。

第1回から第195回までは原則的にモノクロ放送で、例外的に一部の回で「素晴らしいカラーの世界より」と銘打ちカラー放送が行われた。1966年3月18日放送の第196回から原則的にカラー放送に移行した。番組最高視聴率は、1963年1月11日放送の43.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)[3]

放送リスト

声の出演

(50音順)

脚注

  1. 1966年7月4日の朝日新聞朝刊に掲載された日本テレビの全面広告によると、この時点では三菱電機と日本航空の二社提供となっている。また、1968年5月には三菱電機を含む複数社(他はYKK・プラチナ)の提供となっている。さらにその後の1969年4月には、三菱電機が提供からも外れている。
  2. 日本での放送期間に関して、能登路雅子『ディズニーランドという聖地』(岩波書店 1990年)やTDR研究会議『ディズニーリゾート150の秘密』(新潮社 2003年)では異なる記述がされているが、新聞各紙の縮刷版から確認できる期間は本文の通りである。 毎日新聞の縮刷版では1972年4月30日の番組欄に「終」のマークが付いており、この日が最後の放送であったことが分かる。
  3. 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、4頁、220頁。ISBN 4062122227

関連項目

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

FANDOMでも見てみる

おまかせWiki